6月25日

エボルブルス

今日の誕生日花はエボルブルス、花言葉はあふれる思い、です。年をとるとこの溢れる思いがなくなってきます。いろんなことがわかってきて現実を見るからでしょうか。仕方のないことといえばそれまでですが、寂しいことです。でもどんな年齢でも何かにチャレンジしたり、愛するものがあったりすれば溢れる想いはなくならないはずです。ドキドキしてますか?ドキドキさせてますか?あまりドキドキしすぎて血圧が高くならないように^_^;

6/25 誕生日花 エボルブルス
花言葉 あふれる思い

【神様の視点から見た韓国動乱(6・25動乱、朝鮮戦争)の意味】

■「神様は、終わりの日になれば、西洋文明をアジアに連結するために、摂理を導いてきたのです。ところがそのようになっていなかったので、韓国動乱を中心として、16カ国にのぼる異国民が、ようやく1950年度にアジアの接戦地である韓国を選んで入ってきたのです」《1975.6.16》
「韓国動乱当時にイエス様が空中に現れたというような話しも、それをうらずけてくれる材料です。イエス様の顕現とともに、韓国動乱は、神様の神殿を取り戻すための神聖な戦争なのです」《1982.9.13》

■「6.25当時、アメリカの決心が3日遅かったら、我々はすべて釜山の前の海へ突っ込んでいた事でしょう。韓国動乱の時、国連軍の派兵は国連安全保障理事会で、ソ連の拒否権があるので絶対に不可能な事でした。ところが韓国派兵問題を討議した時、ソ連代表は欠席しました。その間に派兵案は、一瀉千里(いっしゃせんり)で可決をみたのです。国連外交史では、その時ソ連代表がなぜ欠席したのか、今なお何も分かりません。これは誰がそのようにしましたか?」《1978.10.19》

■「仁川上陸作戦に続いて、国連軍が北へと押し寄せて来た時に、切羽詰まった共産主義者たちは、収監した政治思想犯たちを処刑し始めました」《1982.10.4》

■「連合軍が攻めて来た時、共産党は囚人を処分していった。先生の前まで全部殺された。ある日、麻縄をよせ始めた。先生は直感で最後の時がいよいよ来た事を感じた。先生は深刻な祈りをしたよ。名前を一人一人呼びあげた。他の場所に移動するという。これが最後の道だった。一人一人井戸に逆さまに投げ込んで殺した。次の番が先生だった。その夜、総攻撃があって
、午前2時頃から逃げ出した」《1970.10.13》
「私の場合、刑務所から出てこようとすれば、判事が許可してくれるのではありません。サタンがしてくれたのです。サタンの公認を受けてこなければならないのです」《1966.12.11》
「先生は、先生がする事になっていたすべての事(第一次摂理の蕩減路程としての『メシヤのための基台』造成)を完遂したので、天使長国家(アメリカ)と国連軍が北韓を攻撃して、先生を解放させました」《1971.12.29》

※文鮮明師の証言より

大曲 一成 – 【国連軍が開けてくれた監獄の門】文鮮明自叙伝p115~116… | By 大曲 一成 | 【国連軍が開けてくれた監獄の門】文鮮明自叙伝p115~116…
大曲 一成 – 【国連軍が開けてくれた監獄の門】文鮮明自叙伝p115~116… | By 大曲 一成 | 【国連軍が開けてくれた監獄の門】文鮮明自叙伝p115~116…

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