広報:小田による時代背景
1988年韓国 メッコール工場での祝福式 日本では天皇陛下の命が危ないと言われる中1 0月30日挙行されました
工場の外では反対する人々が集まっており、マスコミの注目もありました
年開けて1989年に昭和が終わり平成がはにまりました
為替は長く1ドル360円であったものが 当時235円ぐらいからプラザ合意で150円となりバブル景気が始まり
日本銀行の金融引き締め策で1991年結果的にバブル崩壊を迎えます
お父様が『銀行が潰れるんだよ』と言っていた事が本当のことになりました
祝福に参加するまでには、献身 成約断食 縦的に天に繋がり 横的つながりは悪的 との解釈から 親兄弟と縁を切り
それまでの社会的地位をすて、天のみ旨の為にと結婚など出来ないと考えていた兄弟達が多くいたと思います
私も結婚など考えもしない内容でした そんな中祝福があるとの連絡で韓国へ 相手のカラーコピーを手に
出会いの広場で初めて相対者と会う事となりました
子女の誕生:祝福の子女への思いは特別なものがあります
多くの家庭で子女の誕生が難しい中、子女を授かれることがどれほど喜びの瞬間であるか
この日の為に、乗り越えて来た試練 困難 ある意味本人達は試練とも思っていない所があると思いますが
そんな中、2世達は『親に愛されていない』と感じているとある方との話で聞きました
祝福家庭にとって、生活は困窮を極めるものだった事でしょう 我が子愛する以上にみ旨をとの熱き思いの食口が多くいた事でしょう、お父様がそうであったように、2世にとって『そんな事言い訳に過ぎない』と言われれば、そうでしょう
悲しい思いをさせてしまった親としては、反論など出来ない。
小さな溝が大きくなり、親子の関係が疎遠になってしまう その様な家庭が多く存在していると聞きます
今。改めて親子の関係を考え、2世と繋がれる私達でありたいと思っています。
取り急ぎのまとめとなりますが 文章 校正して行きたいと思います